通勤時間は無駄だとか、無駄じゃないとか議論がありますね。
コロナウィルスの機会により、テレワークが急速に普及され「今までの通勤時間とは一体何だったのか?」考えさせられる人も多いのではないでしょうか?
俺の考えを話させてもらいます。
大前提「通勤時間≠勤務時間」つまり通勤時間はあなたの時間です
まず、大前提なのですが「通勤時間は勤務時間ではないです」当然ですね。
つまり、勤務に対する生産性はゼロなのは当然です。私用の時間です。
私用の時間なのに、会社に半分拘束されている通勤時間は皆さんにとってはどういう存在でしょうか?
人によっては通勤中にラジオを聞いたり、本を読むとか効率よく使っている人もいますが、それが出来るのは、
- 通勤時間でも
- 通勤時間でなくてもよい
としたら、果たしてどちらが良いでしょうか?
通勤の遅刻理由=会社のエレベータが来るのが遅いとか、バスが遅れた
俺が今まで遅刻してきた中で、微妙な差ですが、よく
- 会社のエレベータが来るのが遅い
- バスが遅れた
とかがありました。それで会社に怒られたりするわけです。
その怒られって、テレワークとかになったら無駄だったんじゃないですか?
エレベータ待ちとか、本当に会社にも俺にも無駄な時間です。何とかして欲しいのは本当はこっちです。
通勤時間が無くなれば、社員だけのメリットじゃなく、会社もメリットがあるんじゃないですか?
例えば、遅刻が少なくなる(遅刻が無くなるとは言いません笑)、会社のエレベータを早くしなくても済む笑。今まで、社員の気合と根性だけに頼るのは、どうだったんでしょうかね。
車通勤や自転車通勤している人は?
電車通勤の人は本を読むことが出来ますが、車通勤の人は本を読むことはできませんね。
自転車通勤も、本もスマホも見ることが出来ません。
ではこの半強制的な時間を有意義に私生活として使えている人はどういう人でしょうか?
きっと、ドライブが好きだとか、自転車が好きだって人くらいではないでしょうか。好きな人には通勤時間は無駄では無いかもしれませんが、その好きな事をする時間は「通勤である」必要があるのでしょうか?
通勤時間が半強制的に気分転換になったり運動不足解消になったりしていた
これは確かにそうだと思いました。
なまけた考えの人には、同じ時間でも、運動に使ったり気分転換に使ったりは出来ないかもしれません。それが通勤時間なので、半強制的に使われて副作用的に健康を維持している人もいるかもしれません。となると私生活的には無駄な時間ですが、メリットです。
会社としても勤務時間外に社員の健康を維持させるための手段として使えるのかもしれません。
つまり、通勤時間は無駄であったり、無駄でなかったりするわけです。
となれば、個々に自由に選べる働き方世の中になって欲しいです。自分の時間として通勤時間を使っても来てくれても良いし、通勤時間が無駄な人には通勤時間を使わはくても働けるように社員が選べるようになって欲しいです。
サラリーマン川柳、まとめの一句
「通勤の、遅刻怒られ、無駄じゃない?」
本当に、社員に頼るだけが正解なのでしょうか?なくせるオフィスの無駄は無くしましょうよ。
というか、こんな社会の変化に一喜一憂しているけど、本当はこういった世の中の常識やルールを変えれるヤツら(ビックマン)が一番強い。俺がたどり着きたいのはそこなのに、道を外してしまった。
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